「赤い文化住宅の初子」
 
 
「赤毛のアン」が大嫌いな15歳の女の子、初子(東亜優)が主人公。
初子の母は他界し、父は蒸発、残った兄(塩谷瞬)と二人で小さなボロアパートに暮らしている。
親を失い、助けてくれる親戚もなく、日々生活していくお金に困っている。
高校を中退して働いている兄は、自らの苦しい境遇に苛立ち、いつもキレかけている。
初子は、そんな兄を思いやり、折半する昼ご飯代を100円多く兄に渡すような健気な妹なのである。
母が大好きだった「赤毛のアン」を読むことで空想の世界をさまよう初子。
孤児だったアンは、ありもしない空想ばかりを話し、わがままを言ったり勝手な行動で、周囲を驚かせるが、
結局、みんながアンを好きになる。
そんなアンと境遇は似ていても、初子の現実は、そんなにうまくいかない。
だから、「赤毛のアン」が大嫌いなのだ。本当は、違うのだけど…。
 
監督は、「タカダワタル的」(04)で話題となったタナダユキである。
「絶望的な哀しみの中に在る愛しいものをフィルムに残したい。
その衝動だけで、映画を作りたい。そんなふうに思った。」
タナダユキ監督のコメントは、今作がもっている味わいを端的に表していると思う。
平凡な15歳の少女の生活なんて、世間からみたらほんの小さなこと。
どんな境遇でどんな気持ちでどんな生活を送ろうと、誰も振り向きもしない。
今にもかき消えそうなくらい儚く、哀しい生き方をしている少女の気持ちを、
そっとすくい上げて、愛おしく見守っているような視点で作られている。
それは少し、「金魚すくい」に似ていると、ふと思った。
 
初子はいつもつまらなそうにうつむいている。
自分の欲望にフタをして、殻に閉じこもるようにして、現実の厳しさにじっと耐えている。
赤毛のアンのような陽気さは、初子にはないのだ。
でも、かといって、ただただ絶望して、すべてを諦めて暗く沈んでいるわけでもない。
案外、心の奥の方で、未来を見据えているようなところも感じられる。
少なくとも、ちょっとしたことでキレてしまう兄よりも、実はずっとずっと強い。
初子がもし金魚すくいの金魚なら、すくいの手を伸ばしてくれるのが、
クラスメイトの三島くん(佐野和真)である。
一緒の高校へ進学するために勉強を教えてくれたり、
学校に来ない初子を心配して様子をみに来てくれたり、なかなか好青年である。
しかし、現実はそれ以上に厳しく、高校生の三島くんにできることも限りがある。
その辺、リアリティのない夢物語を描かないところに、好感が持てた。
 
印象的なのは、この物語に出て来る大人が、いずれも頼りにならない点である。
担任の女教師(坂井真紀)は、いつも携帯で男に電話していて、生徒のことなど構ってられないという風だし、
バイト先のラーメン屋店主(鈴木慶一)も、苦しい生活をしている中学生だからと手助けするなんてことが鼻からない。
ここまでひどいかなと思う部分だが、今の世相の闇の部分を反映しているのだろうか?
景気が回復し、求人倍率がバブル期を越えたというようなニュースもあるが、
一方で、光の影で闇が深くなっているような社会でもある。
初子は、闇の中で生きている。
何も頼りにできるものがないとき、どうしたらいいのか?
タナダ監督がいう「絶望と隣り合わせの希望」をもつことでしか、
人は生きられないのかもしれない。
そんなメッセージが凝縮したようなラストシーンが、嬉しかった。
 
 
 
シネ・アミューズWEST
   
DATA
日本映画/2007年/110分/監督・脚本(タナダユキ)/エグゼクティブプロデューサー(片岡正博、相原裕美)/
原作(松田洋子)/音楽(豊田道倫)/
出演(東亜優、塩谷瞬、佐野和真、鈴木慶一、浅田美代子、大杉漣)