「グラン・トリノ」
−GRAN TORINO−
 
 
 
「グラン・トリノ」とは、72年製のフォード車である。
最愛の妻に先立たれた主人公ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)の元に残されたのは、
住み慣れた家と愛犬とこのグラン・トリノだけ。
きわめて偏屈者のウォルトは、二人の息子からも煙たがれ、
世代の違う孫たちとも話が合わず、近所付き合いもない。
これから先の余生を一人で生きていくには、少々難ありである。
 
フォードの自動車工として、ウォルトは、当時のアメリカ人としてスタンダードな生活を送ってきたのだろう。
ピカピカに磨き上げられたグラン・トリノは、世界一の大国として繁栄してきたアメリカの象徴であると同時に、
ウォルト自身の輝かしい人生の証に違いない。
しかし、世の中は移りかわり、自身も歳をとってしまった。
80に手が届こうという老人にとって、
過去と未来の比重は想像以上にバランスが悪いのかもしれない。
「老人は迷っていた。人生の締めくくり方を…」という映画のコピーは、
イーストウッドが監督・主演を務めた「ミリオンダラー・ベイビー」(04)にも通じるテーマであるが、
ブラック・ユーモア満載の会話で、今作の方が楽しめた。
 
起承転結の転となるのは、隣家に越してきたモン族の家族との交流からである。
しっかり者のスー(アーニー・ハー)は、街の不良にからまれても一歩も引かぬ気丈夫で、
ウォルトともすぐに打ち解ける賢さをもった少女。
その弟のタオ(ビー・バン)は、気が優しすぎて頼りないが、
心の中には強い正義感を秘めた青年である。
彼、彼女との交流を通じて、陰りが見えてきたアメリカ社会や自らの人生の終焉を受け入れる一方、
新たな隣人となったアジア系移民、モン族の風習や文化を発見し、学んでいくところが見所である。
 
イーストウッドはインタビューの中で「私を思い浮かべて書いたのではないかと思うような男だ」と、
ウォルトに自分をだぶらせている。
1930年生まれのイーストウッドは、今作製作時78歳である。
平均寿命が延びているとはいえ、映画を1本作りあげるのは大変なことだ。
生半可な情熱では、途中で挫折するか中途半端な作品にしかならないであろう。
イーストウッド扮するウォルトの目には鋭い力があり、
シャツから覗く二の腕もいまだ逞しい。
仕上がった作品もオープニングから117分間緊張感が途切れず、完成度は高い。
偉業といってもよいだろう。
 
それはそれとして、イーストウッドの監督作品は、どうも僕の感性と違うらしく、
ここ数年、「ミリオンダラー・ベイビー」(04)、「父親たちの星条旗」(06)、「硫黄島からの手紙」(06)、
そして今作と続けて見ているが、どれも感情移入しきれないところがある。
たとえば、今作でのラストシーン。
実に意外な、そして映画史に残りそうな見事なシーンで、強い衝撃とともに深く感動を覚えたが、
それでも、なんとなくもやもや感が残った。
それが何か、いつもよくわからない。
出世作となったセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」は、
正統派西部劇とは違った「卑怯なヒーロー」ともいわれる。
また、18年続いた人気シリーズ、ドン・シーゲル監督の「ダーティハリー」は、
タイトルにも「汚れた」とついている。
法の隙間に逃げ込む犯罪者を自らの「正義」で裁くわけだが、
その白黒のものさしが自分とはちょっと違うのかもしれない。
それもそれとして、いいのかもしれない。
違うものからこそ学ぶことは多い、とも聞く。
 
 
品川プリンスシネマ
 
DATA
アメリカ映画/2008年/117分/監督・製作(クリント・イーストウッド)/
製作(ロバート・ローレンツ、ビル・ガーバー)/
脚本(ニック・シェンク)/音楽(カイル・イーストウッド)/
出演(クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー)