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「クロッシング」
−crossing−
この作品には、2つの感動があった。
衝撃と感銘。
今なお、北朝鮮の国民がおかれている悲惨な境遇への「衝撃」。
閉鎖された社会の内側はなかなか見えてこないが、
100人以上の脱北者から取材を行うなど4年の歳月をかけて再現された現実は、
想像以上に凄惨なものだった。
1996年以降の食糧難で300万人以上が餓死したというニュースも、
テレビや新聞だけでは実感が湧いてこない。
まして核開発や日本海へのミサイル発射などの不穏な動きを見聞きすると、
国家として受け入れがたいという感情が先に来てしまう。
しかし、そこで生活している国民は、たまたまその国で生まれただけの人たちである。
戦争で引き裂かれた韓国とは、同じ民族でもある。
この当たり前の事実を、この作品は、冒頭からさりげなく提起し、印象づける。
炭坑での労働を終えた男たちが冗談をいい、笑い合い、
サッカーの試合に勝って大酒を飲もうと盛り上がっている他愛のないシーン。
北だ、南だと線を引いてしまいがちだが、同じ人間なんだな〜としみじみ思えてくる。
この映画は、北朝鮮を危険な国として告発することが目的ではなく、
隣人である人々が普通に幸せを願い、懸命に生きている姿に焦点をあてた作品なのである。
主人公は、元サッカー選手のヨンス(チャ・インピョ)。
1部屋しかないような小さな古家に、家族3人で肩を寄せ合い生活している。
食事も簡素、着ているものも質素そのものだが、余計なことに悩む余裕もない分、
生きることだけに集中しているようなエネルギーや生活感が感じられる。
ヨンスは家に帰ると、11歳になる息子のジュニ(シン・ミョンチョル)とサッカーをして遊ぶ。
遊びながら、親子の絆が深められていく様子がよくわかる。
そのとき、にわか雨(ソナギ)が降ってきて、
びしょ濡れになりながら雨が好きなジョニが嬉しそうに微笑むシーンが印象的だった。
すべての汚れを洗い流すように、苦しみや悲しみも水に流し、
新たな命を再生してくれる象徴としてソナギは描かれ、
美しいラストシーンの伏線にもなっていく。
栄養不足が元で母ヨンハ(ソ・ヨンファ)が病床に伏せてしまうところから、
この小さな家族は厳しい運命に翻弄されることになる。
薬を入手するために仕方なく脱北する父ヨンスと父を追って旅立つ息子ジュニ。
秀逸な編集により、双方の境遇が代わる代わる描かれ、見る者の心を揺さぶり続ける。
父の後を追ったジョニは収容所に入れられてしまうのだが、
そこでかつて恋心を抱いていた少女ミソン(チェ・ダヨン)と再会する。
監視員の自転車をこっそり拝借して二人乗りするシーンがなかなかよい。
「明日に向かって撃て!」や「ライフ・イズ・ビューティフル」の自転車シーンを思い出しながら、
束の間の幸福感に心が和むが、
「とっても楽しいな。このまま天国へ行けたら…」と、少女のつぶやきは痛々しい…。
キム・テギュン監督は、10年前に見た映像が忘れられないという。
コッチェビと呼ばれる浮浪児が道端に落ちているうどんを拾って、
汚いどぶの水ですすいで食べている姿。
すぐ近くで起きていることが信じられず、恐ろしく、また恥ずかしかったという。
この恥ずかしかったというキム監督の良心の呵責が、この映画の根底を支えているように思える。
「見て見ぬふり」は、自分も含め、わが国の日常にもあふれている。
物資が豊かになり、生活が便利になればなるほど、
失う恐怖心が先立つためか、生き残り競争が激化し、心の余裕もなくなり、
隣人への思いやりも小さく冷めていってしまう…。
この作品は政治的な映画ではないが、様々な妨害があって、上映が遅れたようである。
「溺れている人を指さして、助けよう!と叫んでいる人に
『あなたは右派ですか?左派ですか?』と質問することほど愚かなことがあるでしょうか」
と主演のチャ・インピョも語っているが、
こういう作品を作り上げたキム監督ら制作陣の良識と勇気には深い「感銘」を受ける。
そして、こういう作品を見ること、制作陣の心に接することは、
我々が日々働くうえでも大きな励みになるように思える。
厳しい現実を突きつけられ、救いのない物語のようではある。
しかし、国境を越えていったジュニ少年のような人間のしぶとさや、
困難を乗り越えて生き抜こうとする姿から勇気や生命の尊厳を感じさせてくれる作品でもある。
なにかの偶然がなければ出会うことのできない秀作と思う。
DATA
韓国映画/2008年/107分/監督(キム・テギュン)/企画(パトリック・チェ)/
プロデューサー(ホン・ジヨン)/脚本(イ・ユジン)/撮影(チョン・ハンチョル)/音楽(キム・テソン)/
出演(チャ・インピョ、シン・ミョンチョル、チュ・ダヨン、チョン・インギ)/字幕(根本理恵)
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