「クリスマスキャロル」
−Christmas Carol−
 
 
 
1843年のロンドン、クリスマス・イヴの夜。
主人公のスクルージ(ジム・キャリー)が誰もいない大きな屋敷に帰ると、奇妙なことが次々起こる。
家中のベルが鳴ったり、7年前に亡くなったビジネス・パートナーの
マーレイ(ゲーリー・オールドマン)が幽霊になって語りかけてきたり…。
そして現れる3人の精霊は、過去、現在、未来のクリスマスの精霊。
イギリスの文豪、ディケンズの古典「クリスマス・キャロル」(1843年)の世界を
最新のパフォーマンス・キャプチャー(俳優の表情をデジタル化する技術)と3D映像で再現し、迫力がすごい!
ちなみに今年(2009年)は3D元年と呼ばれ、ピクサーアニメの「カールじいさんの空飛ぶ家」や
ジェームス・キャメロンの「アバター」などが3Dで上映されている。
 
過去の精霊は、スクルージの懐かしい子供時代を蘇らせ、
現在の精霊は、ケチで強欲でいじわるなスクルージの半生と今を見せつけ、
さらに未来の精霊は、スクルージ本人に差し迫っている死を暗示する。
翌クリスマスの朝、ベッドで目覚めたスクルージは、生きている自分に歓喜するとともに、
過去の自分を恥じ、心を入れ替える決心をする。
その変貌ぶりがあまりに極端で笑ってしまうが、その根底には性善説があるように思えた。
 
先日、なんとなく本棚の「ピュリツァー賞 写真集」を眺めていて、1枚の写真に目が釘付けになった。
「バンコクの政治暴動」と名付けられたその写真の中央には、木に首吊された青年がぶら下がっていて、
その死人の頭上めがけてパイプイスを打ち付けようとする凄惨な瞬間が撮られている。
さらに衝撃的なのは、その様子を見守る数十人の民衆の表情である。
右派左派で対立しているとはいえ、実に穏やかでにこやかな表情、大声で笑っている子供までいるのである。
この写真を見ていると、性善説への道程は、相当遠いと思わざるを得ない。
「一体、性善説と性悪説のどっちが正しいのだろう?」
自問自答の揚げ句、これは信じる信じないの話かなと思うようになった。
都合がいい方を信じればいいと思う。
どちらかを信じよと他人に強要しなければいいとも思う。
 
ロバート・ゼメキス監督はこの映画の主人公スクルージと3人の精霊を
すべてジム・キャリーが演じることにこだわったという。
クリスマス・イヴに現れた精霊は、それぞれがスクルージの分身という解釈から生まれたアイデアである。
清水節氏(ライター)の評論にあったが、初期のヒット作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85、89、90)も
アカデミー受賞作の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94)も、
さらには無神論者の科学者が異星人に遭遇して宗教的な覚醒を体験する「コンタクト」(97)も、
自己変革を通じて何かしらの成功や悟りに至る物語であった。
それらの延長線上にある今作もまた、発展途上にある自己を改革し成長させてゆくのは、
内なる自分自身であるというゼメキス監督の一貫したメッセージが込められているのである。
他人を負かす優越感よりも、「昨日の自分」を超えていく日々の集大成にこそ、
本当の満足感や達成感、その結果としての幸福感を心底実感するのではないだろうか。
 
「経済に束縛された価値観から解放され、いまの自分を変える勇気を持つこと。
自分が変わることで、未来が変えられると信じること。
自分だけの幸せを求めても、人は決して幸せにはなれないと気づくこと…」
この作品とともに届けられたゼメキス監督の言葉は、
新たな未来を拓くための羅針盤になってくれることだろう。
 
 
 
渋谷シネパレス
 
 
DATA
米国映画/2009年/96分/製作・監督・脚本(ロバート・ゼメキス)/原作(チャールズ・ディケンズ)/
製作(スティーヴ・スターキー)/音楽(アラン・シルヴェストリ)/
出演(ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、ボブ・ホスキンス)