見終えたとき、少しボーっとした。
もっとこの物語の中に浸っていたかったのに、というある種の「喪失感」があった。
見ているときは、主人公の福寿愛美(小松菜奈)にポーっとしていた。
波瑠さん似のルックスとサバサバしつつ健気なキャラ設定が相まって、すっかり魅了されてしまった。
「わたし、癒やし系じゃないよ」とうつむくシーンとか、三木監督の美的センスが利いていた。
主役の福士蒼汰は、NHK朝ドラの「あまちゃん」では実に爽やか青年でよかったのだが、
「イン・ザ・ヒーロー」(14)での生意気な俳優役をみて、すっかり印象が悪くなっていた。
あくまで役柄の印象にも関わらず、勝手に嫌いになっていたのだが、
今作の好青年ぶりで、ようやく自分の中での福士蒼汰の好感度が復元された!
タイトルから想像できるように、タイムスリップものである。
時間軸が交差していく展開は、「ベンジャミン・バトン」(08)とよく似ていて、
盗作だとか辻褄が合わないとかいう否定的意見も散見されるが、
総じて高評価であり、僕自身も楽しめたので満足している。
「ベンジャミン・バトン」もとても好きな作品だが、今作とはだいぶテイストが違うので、
別物として楽しめると思う。
日本人は「限定品」に弱いと時々言われるが、
この手の時限付き設定には、僕も滅法弱い。
1日1日と至福の時間を過ごすことは、すなわち残された時間が着々と失われていることを意味する。
生きるとは、死に近づくことともいえるが、
かといって時間を思い通りに支配できたら幸せなのかといえば、
恐らくそういうことにはならず、きっと、今の限られた命、時間の中で生きることでこそ、
大きな喜びや深い感動、感謝が生じてくるものなのだろう。
物語は、南山高寿(福士蒼汰)の視点で時間が経過していくが、
種明かしされてからの終盤は、これまで過ごしてきた時を愛美の視点を交え、
現在から過去へと遡っていく。
過去の出来事を振り返りながら、愛美の自分に対するさりげない気遣い、思いやり、
愛に気付かされる高寿が泣き崩れる気持ちに同調し、観客は感涙を禁じ得ない。
まさにその瞬間、心が浄化されているような感じがした。
高寿と父親の設定など少し荒削りなところもなくはなかったが、トータルとして脚本もよかった。
タイムマシーンはなくても、僕らは頭の中で、時間軸を行ったり来たりしている。
ずいぶんと後になってから、過去の中に埋もれた真実に気付くこともある。
そのときに感じるやるせなさ、やり直しできない後悔、そういったものがないまぜになって生じる喪失感、
のようなものをこの作品では、追体験できる気がする。
時間の流れは、過去、現在、未来の順番だが、歴史の流れはいつでも、
現在、過去、未来であるという言葉を、ふと思い出す。
近江八幡の「かわらミュージアム」で出会った言葉だが、
現在の人々が振り返らなければ過去はないということである。
そういう意味で、僕らはタイムトラベラーなのかもしれない。
時々、そういう時間をもっていたいと思う。
DATA
日本映画/2016年/111分/
製作(市川南)/監督(三木孝浩)/原作(七月隆文)/脚本(吉田智子)/
音楽(松谷卓)/出演(福士蒼汰、小松菜奈、東出昌大他)/