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「別離」
−Nader and Simin,A Separation−
あれよあれよという間に運命に翻弄されていく人々の物語に釘付けになった。
発端は些細なこと、と言えなくもない。
11歳になる一人娘テルメー(サリナ・ファルハディ)の将来を案じて、
イランから国外移住の準備を進める母シミン(レイラ・ハタミ)。
1年半かけて移住許可を得た矢先、夫ナデル(ペイマン・モアディ)の父がアルツハイマーになる。
父を残しての移住はできないという夫と娘のための移住を望むこの妻は、
結婚14年目にして離婚を選択するのだが…。
イランの首都テヘランを舞台とするイランならではの作品。
日本人にとってはイランというより、ペルシャの方が馴染みがあるかもしれない。
ペルシャ絨毯、ペルシャ猫というように。
実のところ、絨毯や猫よりもお世話になっているのが原油である。
日本はイラン最大のアザデガン油田の開発に関わっており、原油輸入の約10%にもなる。
昨年(2011年)以降、イランは核保有疑惑でアメリカやEUから原油禁輸などの制裁措置を受けており、
日本は、親日国イランと同盟国アメリカとの狭間で難しい外交を迫られている…。
1979年のイラン革命でイスラーム政権が実権を握って以来、
聖典「コーラン」に基づく厳格な規定が、結婚制度をはじめ、国民の生活を厳しく縛っているらしい。
この映画では、別居状態となったナデルが家事と父の介護のために家政婦を雇うところで転じていく。
雇われた家政婦ラジエー(サレー・バヤト)は、イスラム教の敬虔な信者で、
介護とはいえ男性の体に触れることに激しく動揺してしまう。
比較的裕福でグローバルな世界に住むナデル家と、伝統的な慣習を守りながらつましく生活するラジエー家は、
分断されたイラン社会のシンボルとして対極的に描かれていく。
こうしたイラン固有の社会問題を扱いながら、
普遍的なテーマへと肉薄していくところが本作の見所でもある。
ベルリン国際映画祭コンペティション部門の金獅子賞、銀熊賞(男優/女優)、
米アカデミー外国語映画賞など世界で90冠を超える受賞となったのも納得の完成度である。
宗教観の違いと経済格差。
いわば「心」と「モノ」の対立は、形は違えど世界の至る所で争いの火種になっている。
最近のニュースでは、ロンドン五輪サッカー3位決定戦で日本を破った韓国選手の1人が、
「独島(日本名=竹島)はわれわれの領土」というメッセージを掲げて問題になった。
ナショナリズムという精神的な部分(心)と領海における資源(モノ)が絡んだ複雑な難題である。
こうしたがんじがらめにこじれた諸問題は、概して「大人」が原因を作っている。
智恵も力もあるはずの大人が真実と嘘の間にまみれていく様子を
「子供」の視点で見せていくのが、この作品の特徴でもある。
両親間や周りを巻き起んだ争いを最も身近で傍観し続けてきた娘のテルメー。
ある意味で最大の犠牲者であるテルメーに、大人が引き起こした問題の答えを
選ばせようとするクライマックスは、この上なく悲しくて残酷、そしてリアルだった。
テルメーを演じたサリナ・フェルハディは、監督の実の娘だが、演技を遙かに超えて立派だった。
子供たちが悲しくならない世界、それが大人たちが共有すべき世界観であろう。
DATA
イラン映画/2011年/123分/デジタル/1:1.85/
製作・監督・脚本(アスガー・ファルハディ)/撮影監督(マームード・カラリ)/
出演(レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、サリナ・ファルハディ)/
字幕(柴田香代子)
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