|
「アバター」
−AVATAR−
ジェームズ・キャメロン、12年ぶりの超話題作である。
J・キャメロンは「タイタニック」(97)以後、ひたすら3D映画づくりを研究していたという。
3D映画の歴史は意外に古く、1915年にアナグリフ方式で撮られた「Jim the Penman」という作品が最初。
青と赤のメガネをかけてみる方式でお馴染みだが、不自然な色になってしまうのが致命的。
アメリカでテレビが普及し始めた1950年代、対抗策として再び3Dが流行。
偏光フィルターメガネをかけてみるパッシブ・ステレオ方式というもので、
色の再現性は高いものの、上映のための設備投資がかさむためブームは続かない。
80年代のブームも一時的に終わり、満を持して2009年、「クリスマス・キャロル」、「カールじいさんの空飛ぶ家」、
そして「アバター」と次々立体映画が公開され、「3D映画元年」ともいわれている。
J・キャメロンは、今後作る映画はすべて3Dで撮るとまで断言し、
「映画を観るのではなく、映画を体験して欲しい」と述べている。
avatarとは「化身・分身」の意で、本作品では、惑星パンドラに棲むヒューマノイド「ナヴィ族」と
地球人のDNAを遺伝子操作して作ったハイブリッドを指す。
主人公のジェイク(サム・ワーシントン)は戦闘で足を負傷した元海兵隊員だが、
彼自身がサイボーグのようにアバターに変身するのではなく、
特殊な装置で意識を転送し、「ドライバー」となってアバターを動かすというしくみがユニークで面白い。
地球人より一回り大きなアバターは優れた運動能力をもっていて、
ジェイクは再び自分の足で歩ける喜びにはしゃぎながら、特殊任務遂行に着手する。
その任務とは、ナヴィの社会に溶け込み、惑星に眠る地下資源に関する情報を集めることだったが…。
1つの言葉が深く印象に残った。
「I see you.」
ジェイクがナヴィ族族長の娘、ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と知り合い、
心を通わす中で、何度か出てくる台詞である。
クライマックスで、アバターとリンクする装置を破壊されて生身の人間に戻ってしまったジェイクが、
防毒マスクなしで死にかけているところにネイティリが駆けつけるシーンで涙が出た。
そのときにも、この言葉が使われていた。
ネイティリは、人間の姿をしたジェイクを見たことがないので知らないわけだが、
彼女にはジェイクが見えた(わかった)のである!
J・キャメロン監督がこの作品で伝えたかったことは、この言葉に集約されているようにも思える。
初めてナヴィの森を訪れたジェイクに対し、ネイティリは激しく追い払おうとする。
「帰れ!お前たちは何も見えてないのだ!」
やがて観客は、ジェイクの目を通して、見えなかったものが段々と見えてくるという体験をする。
気が遠くなるほど長い年月をかけて作られてきた偉大な自然を、
巨大な重機で破壊し、限りある資源を奪い尽くそうとする人間の強欲で愚かな行為を見ていると、
現実の世界と重なり合って、居たたまれない気持ちになってくる。
ナヴィ族の生活拠点にもなっている「ホームツリー」を焼き払い倒壊させたクオリッチ大佐(スティーブン・ラング)が、
作戦成功とばかりに帰還するシーンでは、思わずイラク戦争を想起してしまった。
果たしてあのとき、アメリカやアメリカに追随した日本は、本当のイラクが見えていたのか?
いや、本気で見ようとしたのだろうか?
この映画は、特定の戦争に限定して批判しようとしているわけではないだろう。
もっと大きく、普遍的な意味を込めて、作られたものに違いない。
ジェイクとネイティリが民族も立場の違いも超えて、緊迫した厳しい状況下でお互いを見失いながら、
何度も立ち直り、「私はあなたが見える」ことを確かめ合う姿勢こそ、
グローバル化していくこの世界にとって、最も必要なことではないかと思えた。
そして、そのことは、もっと小さな個々人の関係性においても、
もう一度見直さなければいけないように思えて、しみじみと感慨深かった。
中心に大きなメッセージ性があって、そこに最新のテクノロジーを惜しみなくつぎ込み、
最大級のエンターテイメントを生み出す。
J・キャメロン監督のサービス精神は、全く健在であった。
本作に関するアメリカのとある講評を思い出す。
「唯一気になることは、このあと、J・キャメロンはどうやってこれ以上の映画を作るのか?ということ」
全く、同感。これ以上は無理だろうが、期待もしたい。
DATA
米国映画/2009年/162分/監督・脚本(ジェームズ・キャメロン)/
製作(ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー)/
制作総指揮(コリン・ウィルソン、レータ、カログリディス)/音楽(ジェームズ・ホーナー)/
出演(サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガーニー・ウィーバー、スティーブン・ラング)
|