「チョコレートドーナツ」
-ANY DAY NOW-
 
 
 
1970年代、アメリカ・ブルックリンでの実話を基にした物語。
オープニングは、夜のステージで歌うちょっと妙な女。
綺麗にお化粧はしているが、口元にはヒゲの剃りあとが青々しているし、
キラキラ衣装からのぞく二の腕も少々ごっつい。
観客の男性と怪しげな視線を交わしているぞ!
「うわ、ゲイの話か…」
個人的には、この手の話は苦手。
本人の自由だと頭では理解しているが、生理的な違和感が拭えない。
アン・リー監督のアカデミー受賞作「ブロークバック・マウンテン」(05)も大感動作といわれているが、
全く共感するには至らなかった。
何故、男同士がそれぞれの家庭を捨ててまで愛し合うのか?友情ではダメなのか?
それが男女ならわかるけど同姓だとわからない、という偏見を抱えつつ鑑賞していたのだが、
このシンガーを夢見る中年男ルディ(アラン・カミング)の人間的な魅力に触れるうち、
より内面的なところに目がいくようになった。
これは、外見と中身とどっちが大事かという話に少し似ている。
外見で人は判断できない!
とはいえ、外見もその人らしさだし、外見は少なからず中身を反映しているから、
外見はやはり重要!だけど、外見がすべてではない、と延々続く…。
性的趣向と人間性も同じように、片方だけ見ていては全体像を掴めないということだろう。
猫好き、犬好きの理由を正確に説明することが難しいように、
理屈で説明するのではなく、事実の積み重ねで受け入れていけるものなのかもしれない。
 
物語は、ショーバーで知り合った検事のポール(ギャレット・ディラハント)とルディが、
育児放棄されているダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)の養育権獲得に向かう法廷闘争へと発展していく。
ゲイと障害者という二重のマイノリティである主人公らにとって、
1970年代の社会情勢はかなり大きな障壁となって立ちはだかる。
ルディの深い愛情こそが孤独なマルコを救える唯一の選択肢と思えるのだが…。
 
トラヴィス監督は、インタビューで次のように語っている。
「アメリカにはLGBT(レスビアン、ゲイ、バイ・セクシャル、トランスジェンダー・トランスセクシュアル)で
子供をもっている人が100万人いる。養子をもちらい、許されるなら親になりたいという意思表明をしている人が
200〜300万人いる。彼らが精神的、感情的、心理的に適合した人物なら、
安全で安定した家庭があり、他の誰も望まないような誰かに愛情を与えることができるなら、
ドアが閉まったベッドルームでプライヴェートに何をしようと、
その人物は子供を家庭に受け入れることが許されるべきなんだ。」
 
先日、神奈川県厚木市アパートで白骨化した男児(5歳)が発見される事件があった。
週に1、2度、1回の食事しか与えなかった父親は、がりがりに衰弱して立てなくなった息子が
「パパ、パパ…」とか細い声で服を引っ張るのを放置して、見殺しにしてしまう。
「息子を育てるよりも交際している女性の方が大事だった」と言ったそうだから、ゲイでないだろう。
この父親よりもルディの方がずっとまともで信用できる人間ということである。
原題の「AND DAY NOW」は、「いつの日か」という意味で、ルディがラストで熱唱する
「I Shall Be Released」(ボブ・ディラン作)のフレーズである。
「いつの日か」こんな馬鹿げた事件のない世の中になってほしい、と願わずにはおれない。
 
 
銀座シネスイッチ
 
DATA
アメリカ映画/2012年/97分/
監督・脚本・製作(トラヴィス・ファイン)/脚本(ジョージ・アーサー・ブルーム)/
プロデューサー(クリスティーン・ホスステッター・ファインチップ・ホーリハン他)/音楽監修(PJブルーム)/
出演(アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、アイザック・レイヴァ)/字幕(大西公子)