夏川りみ
コンサートツアー

ぬちぐすい石垣島
みみぐすい島唄

20111113(sun)16:30-18:45

 今、心に残っている余韻を一言で表せば、「ホスピタリティ・マインド」だろうか。別に横文字にしなくたっていい。「歌がうまい!」というだけでは届かない「おもてなしの心」が、温もりとともに残っている。2時間を超える彼女のステージは、最初から最後まで本当に心のこもったとても居心地のよい時間だった。彼女の歌を聞きながら、「あ〜、今まさに心が洗われているな〜」と何度も思った。しかし、実を言えば、2曲目で少々眠くなって、ちょっとの間寝てしまっていた(汗;)。1曲目、2曲目と子守歌だったので…。
 最新作「ぬちぐすい石垣島 みみぐすい島唄」は、子守歌を集めたアルバム。昨年、母になった夏川りみは、かねてからの願いがあったという。それは、子供がお腹にいるときと生まれたあとの声を残しておきたいというもの。「じゃあ、アルバムを作っちゃおう」という話になって、この作品ができたという。今回のツアーはこの子守歌全集を中心に歌われるから、少し眠くなるし、「普段十分に眠れてない方は、どうぞ寝てくださいね」と彼女自身がMCで語っていたから、寝ててもいいのである(笑)。実際のところ、眠かったのは最初だけで、あとはリラックスしながらもとても集中することができた。選曲もヴァラエティに富んでいたし、カバーもあった。その1つがチューリップ(財津和夫)の「切手のないおくりもの」。題名は知らなかったが、誰もが聴いたことのある歌だと思う。
 少女時代から抜群の歌唱力をもっていた夏川りみは、若くして大手レコード会社と契約を結び、念願の上京を果たす。が、鳴かず飛ばずの失意の中で一旦は石垣島に戻り、姉のお店で働いていた。そのとき出会った歌が「涙そうそう」だった。運命の出会いだと言っていいだろう。この曲を書いたビギン(詞は森山良子)がシングルカットしたのが2000年、その前の1998年に森山良子のアルバムに収録されたのが最初である。しかし、日本中、今や広くアジア圏でも知られるようになったのは、夏川りみが2001年に歌ってからである。彼女はこの歌で一躍国民的スターへと変貌を遂げ、歌の方も誰もが口ずさめるスタンダードになった。みんなにとって、幸福な出会いだったのである。
 「いいなって思った歌は、自分で歌いたくなる」と何度も話していたが、彼女は人の歌でも自分のものにしてしまう天賦の才能があるようだ。トリビュートなどでカバー曲を聴くと、大抵の場合は失望する。やはり、元歌の方がずっといいのだ。ところが夏川りみの場合は、例外かもしれない。子供の頃から歌がうまく、小学生の頃から「のど自慢荒らし」と言われるほどだったらしい。今日の特別ゲストである大島保克氏が明かすところによると、小学5年生のときにはのど自慢大会の審査員を務めていたそうで、その大会に出場した大島氏は見事に落選してしまったという(笑)。彼女は歌うために生まれてきたような人。まさに歌姫である。彼女の歌は「琉球フェスティバル」で何度か聴いていたが、ワンマンライブへ行くのは初めてだった。MCも上手で、客席との対話をとても楽しんでいた。1つ1つの歌についての解説も丁寧で、人間的魅力も豊かだという印象をもった。
 夏川りみが歌う歌の中に、僕が好きな人が書いたものもいくつかあった。「涙そうそう」のビギンもそうだし、今日アンコールで歌った「愛よ愛よ(かなよかなよ)」は宮沢和史の書いたものだった。カバーではスターダストレビューの名曲「木蘭の涙」が心に染みた。アンコールのあと、ステージに一人残ると、丁寧にお礼を述べた後、喜納昌吉の名曲「花」をマイクなしで歌った。肉声がそのままホールの隅々にまで広がり、どこか神秘的でさえあった。
 「あすという日が」。この歌は、仙台のある中学校が合唱コンクールで歌う予定のものだったが、震災の影響で歌われることがなかった。NHK歌謡コンサートで取り上げ、夏川りみが歌ったところ全国的に知られるようになり、今では被災地の応援歌のようになっているという。
 沖縄は敗戦から今日に至るまでずっと戦争の重しを背負ってきている。それゆえに太陽のような、人々を明るく照らしてくれるような人もまた必要とされて生まれてくるようにも思える。夏川りみもそんな一人に違いない。ライブ後、握手会があった。とても小さな人、小さくて温かい手をしていた。