「季節のない街」
著者:山本周五郎
これは、昭和30年代後半の東京近郊にある貧民街の人々について書かれた15編からなる短編集である。1つ目の「街へゆく電車」には六ちゃんという知的障害児が出てくる。「電車ばか」の六ちゃんは、毎日、架空の電車運転手となり、右手でハンドルを掴み、車輪が正確にレールの継ぎ目を渡っていく様を表現する。「どでどで、どでどで、どですかでん」。そうか、これが黒澤明監督作品「どですかでん」の原作であったのかと知る。あとがきによれば、「登場する人物、出来事、情景など、すべて私の目で見、耳で聞き、実際に接触したものばかりであって(中略)、小説として再現しながら、作中の人物のひとりひとりに、私は限りない愛着となつかしさを感じた。」ということなのである。そうと知ると、貧民街での人々の暮らしぶりがより鮮明に浮かび上がり、ギリギリの生活を送らざるを得ない登場人物らをより身近に感じられるのである。 「プールのある家」という話には、四十くらいの父と六、七歳の少年が出てくる。ぼろを身にまとい、犬小屋のような住居で乞食同然の暮らしをしている二人が日常的にしている会話は、どんな家を建てるか、なのである。例えば、「門は総檜の冠木門にきまり、塀は大谷石。洋館は階上階下とも冷暖房装置にし、日本間のほうは数寄屋造り。庭はいちめんの芝生であるが、これはイギリスからエバー・グリーンを取りよせる。」てな具合に、微に入り細に入り克明に語られる。少年はもっぱら父親の壮大な空想の聞き手に徹し、「うん、そうだね」「そうか、ほんとだ」などと頷くばかりなのである。その子が食べ物にアタリ、衰弱していく中で初めて自分の意見として述べたのが、「プールを作るのは賛成だね」だった。そして、小さな命は呆気なく失われてしまうので、あまりに哀しく、やるせない読後感が残る。
昭和40年代後半を福岡の片田舎で過ごした自分にも似た思い出がある。ある晩、家を訪ねてきたおじさん、豆腐屋だったような朧気な記憶があるが定かではない、その人が帰ったあと、母がいうには、その晩のあのお宅の夕食はみんなでソーセージ1本だけだというのである。そのときの母親の沈痛な面持ちや貧乏に対する恐れのような感覚をいまでも忘れることができない。木造平屋のボロ家に住み、わが家は貧乏だといつも聞かされていたが、下には下があって、もっと苦しい生活をしている人がいることに子供ながら思うところがあったのだと思う。
この作品を読むと、普段は忘れ去り、心の奥底にしまい込んでいる感情がヒョッコリ顔を出す。著者のいう「愛着となつかしさ」もあれば、空しさや嫌悪感、失望感もある。見栄や虚飾で塗りたくり、自分で見て見ぬふりをしている人間の弱さ、愚かさ、哀しさを思わざるを得なくなる。人間って本当に哀しいね。でも、むしろそれゆえに、例えようもない愛おしさを感じてしまうのである。
(新潮文庫)
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